「お前ってさぁ、…可愛いよね」
小泉壮太は、恥ずかしげも無くそんな科白を言ってのけた。どうしていいのかわからなくて、あたしはただそのときは、そいつをひっぱたいたことしか覚えてない。
「おはよ、瀬野!」
「……………。」
前から小泉はあたしによく話しかけてきてた。でも、あの言葉の後から、その回数がもっと増えた気がする。朝の挨拶は勿論、ことあるごとに話しかけてくる。なんだか恥ずかしくて、あたしは毎度どうすればいいのかわからなくなる。小泉の顔を見るたびに顔が赤くなってるのが自分でもわかって、それが何とも、…恥ずかしい。
「瀬野ってば! 瀬ー野ッ」
「お、おは……よう」
うぅ、ちゃんと普通に出来たかどうかわからない。何であたし、こんなに調子出ないんだろう。
小泉はあたしの返事を聞いて、へらりと笑って頭をなでてきた。暖かい手があたしの髪に触れる。
「ん、よくできました」
「何よ、この手は」
「よくできましたーって」
「あたしは子供じゃない!」
小泉は、あたしがちゃんと返事を返すたびに嬉しそうに褒めてくる。子供扱いをされているようで、悔しくて、あたしはその手を払いのけたりする。恥ずかしいってのもあるけど、この暖かい手を払いのける度少し自分のこの性格が嫌になる。もう少しあたしが器用で素直だったなら、小泉ともこんなんじゃなく普通に話すことが出来るんだろうな。
あたしが下駄箱から離れて教室へと階段を上り始めると、小泉も一歩後ろからついてくる。…よく懐く犬みたい。
「なぁなぁ瀬野、瀬野ってさ、下の名前冴花だっけ?」
「…そう、だけど」
「変わった名前だよな」
そうかしら。あたしは普通だと思うけど。
「冴花って呼んで良い?」
「………。」
ぐ。思わず立ち止まる。あたしが立ち止まると、小泉がひょいと横に並んだ。そして階段の同じ段で止まった。
「な、なん、でよ。馴れ馴れしい」
「いいじゃん、冴花」
「……!」
うぅ、また顔が赤くなった気がする。ていうか、顔、熱い…。
何でだろう。誰に呼ばれたって恥ずかしくないのに、小泉に名前を呼ばれると心臓が跳ねる感じがする。何で? …この声は、どんな力を持ってるの?
「やめてよ!」
「あ、照れてる」
「て、照れてなんか…」
照れてるけど。うるさいわね、自分でも解ってるわよ、そのくらい。
「冴花ー。冴花、冴花」
「っるさい!」
ぱぁん、と小気味よい音がした。しまった、またひっぱたいてしまった。
「いってぇ…冴花は細いくせに結構力あるのな」
「なッ…」
褒められてるのか貶されてるのか。判断に困る。
「あ、ほらもうHR始まるぜ! 早く階段上がれー」
そして何事も無かったように急かすし。あぁ、小泉がわからない。あたしは小泉に急かされて、急いで階段を上がった。
あたしの教室は4階にあるので、階段を上がるだけで毎回疲れる。チャイムと同時くらいに教室に入り、自分の席に着いた。小泉もあたしの右隣の席に腰を下ろした。…小泉の席はあたしの隣だ。
授業中。午後の授業、眠くなるのは仕方の無いことだと思う。教師の講義も右から入っては左に抜けていくように、あたしの頭の中には流れ込んでこなかった。うとうととし始めて、机に突っ伏す。…突っ伏そうと、した。その瞬間、右側から何かがあたしの頭に当たった。犯人はわかってる。小泉だ。顔を上げて、当てられたものをよく見た。白い、ルーズリーフの切れ端を丸めたものだった。それを開く。
《冴花、放課後ヒマ?》
ただそれだけが書いてあった。横を見ると、小泉が口を動かした。…ヒマ? と訊いてきてるようだ。あたしはそれにこくりと頷いて見せた。あたしは特に部活動や委員会などに参加していないし、放課後に特に用事を入れても居ない。小泉の方は部活があるだろうけど…まぁ、休みの日もあるだろう。
小泉はあたしの返事を聞くと下を向いて何かを書き始めた。そして、それを破りとって丸めると、再びあたしの方に投げてきた。あたしもまた、それを手にとって広げた。
《じゃあ、遊ぼう》
…やっぱり犬だ、この男。切れ端の下の方に、《放課後屋上にて》と書いてあった。
「じゃぁ冴花、何して遊ぶ?」
あたしが聞きたい。何のつもりなんだろう、この男は。
小泉は夕空を背にあたしに笑いかけてくる。放課後の屋上は誰も居なくて、小泉とあたしの二人だけで、何だか変な感じだ。夕空が眩しくて、目が眩む。
「…冴花?」
「何よ、やめてって言ってるじゃない! 馴れ馴れしいっ」
思わずそう抗議すると、小泉はきょとんとした顔で聞き返してきた。
「何で?」
何でって…。
「は、恥ずかしい、し…」
「…何で恥ずかしいの」
「わ、わかんないわよそんなのっ!」
あぁもう嫌だ。名前を呼ばれるたび、調子が狂う。変な感じになる。いつものあたしじゃなくなる。あたしなんで、こんなにぐちゃぐちゃした気分なんだろう?
「だって、友達とかには冴花って呼ばれてるじゃん。それは恥ずかしくない?」
「べ、別に…友達だし」
「じゃぁ俺は?」
……わかんない。何と言うか、全てにおいて小泉がただあたしにくっついてきてるって感じがするし。
友達、は違う。
…じゃぁ何だ?
「………犬」
思いっきり指差して言った。小泉はちょっと一瞬固まった。何、この反応。
「犬って…俺、ペットじゃないよ?」
「だって、あんた何かくっついてくるし…。」
「……嫌? 俺、邪魔?」
小泉はそう言って、少し哀しそうに目を伏せた。
うぅ。そう言われると困る。あたしは別に小泉をうざったく思ってるわけじゃない。
「べ、別にそうじゃないけど…。」
そう答えると、「本当?」と小泉は嬉しそうに笑った。…あ、やだ、何か恥ずかしいかも。大体何で、あたしは今こんな状況に置かれてるんだろう。
「…何で顔背けるんだよー」
恥ずかしいんだって。何か今、小泉の顔直視できないかも。
名前を呼ばれるときみたいに、心臓がびくりと跳ねる。何だろう、この感覚。何か、変な感じ。
あたしは小泉に背を向けた。目の前には冷たいコンクリートと階段に戻るためのドア。ひゅぅ、と風が吹き抜ける。
何だろう、この気持ちは。
「……小泉、このあいだから、何なの?」
「…へ?」
背を向けているから表情は伺えないけど、きっと今は驚いた顔をしているのだろう。とても素っ頓狂な声を上げた。
「何かやたら話しかけてくるし………か、可愛いとか、言うし…。」
「……。」
「何で、こんなことするの…?」
また、ひゅうと風が吹いた。小泉は今、どんな顔をしているのか、わからない。ただ黙って、何を言おうか迷っているようだった。
やがて、声が返ってくる。
「可愛いって言うのは、本当にそう思ったから。俺は、思ったことしか、口に出してない」
「……。」
顔、熱い。
「わかんない?」
また、今度は強い風が吹いた。ざぁ、と空気が振動する。
「俺、冴花のこと好きなんだよ」
「…え…。」
あ。
やばい。
なんか、凄く…。
「………冴花?」
凄く、……嬉しい、かも。
「…本当?」
「本当だよ?」
やだ、何か、凄く恥ずかしい。顔を両手で覆う。
そこで、小泉がはっと気づいたように声を荒げた。
「あ、ちょっと待って今すッごいいい顔してるでしょ、冴花!」
「し、してない」
「こっち向いて!」
「や、やだっ!」
小泉があたしの腕を掴んでくる。その腕がいつもより熱い気がして、驚いて手を離してしまった。…顔を覆ってる手も、避けられる。
「……。」
「………。」
一瞬、小泉と目が合った。あぁだめ、恥ずかしい。直視できない。
「冴花、実は俺のこと凄い好きでしょ」
「…っ!」
小泉がまたへらりと笑って言った。
そっか、あたし…小泉のこと好きなんだ。
……でも、恥ずかしくてそんなこと口に出来ない。何でこの男はさらっと言ってのけたんだ?
「…好きって言ってみ?」
「……やだ」
「じゃぁ嫌い?」
「………違うもん」
だから、恥ずかしいって…! 小泉はやたら嬉しそうに笑うし、私はどうしたら良いか解らない。
「じゃぁ何?」
「………す…。」
恥ずかしい、って。でも何か、小泉をもっと笑顔にさせてみたくって、あたしはあたしの精一杯で答える。
「………………すき」
聞こえたか聞こえてないか解らないくらいの小さな声で、言った。だめ、死ぬほど恥ずかしい!
小泉はどうやらそれが聞こえていたらしく、勢いよく掴んだままのあたしの腕を強く引っ張って、…あたしを抱き寄せた。
うわ、何これ。……嬉しい。
「よく言えました!」
そしてまた、あたしの頭をその暖かい手で撫でた。
ずるいよ、小泉。小泉こそ、今凄いいい顔してるでしょ。あたしはそれを見たい。…凄く見たい、けど。
傍にある温もりに縋っていたくて、あたしは小泉を見上げることが出来なかった。
…大好き。
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ふわふわ揺れる金の髪に、あたしは夢中。
「髪伸びたねーっ!」
「触るな」
「いやー、伸びると一段と触り心地が良く…」
「触るなっつってんだろ」
「そんなツンツンしないでよ、あたしとあんたの仲じゃない」
どんな仲だ、と突っ込む夕都に、美容師と客、と返す。あたしは座った夕都の後ろに立ち、右手に持った鋏をちゃきちゃき動かしながら夕都の頭を撫でてやる。この髪質が羨ましい。
「で、今日はどうする? どこまで切る?」
「…適当に」
「よっし、いっちょ刈上げちゃう!?」
「それはやめろ」
もう、クールなんだから。こんなのジョークよジョーク。こんな触り心地の良い金髪、短くしちゃったら勿体無いって。そんなことを言ってみると、鏡に映った夕都は可愛げもなく顔を歪ませた。嫌そうな顔しやがって、こんにゃろ。幼馴染のよしみでタダで切ってやるっつーのに。
「んーじゃ、ザクザク軽くしちゃうね。シャギー入れまくって良い?」
「ご自由に」
「ん」
許可も得たことだし、心置きなく切れるというもの。夕都の髪のひと房に鋏を入れる。
たまにこうして夕都の髪を切ることができるのは、あたしの密かな楽しみだったりする。いくら夕都のファンの女の子たちだって、こんなことはできないもんね。こんな特権、活用させてもらわないと損だもの。
「…なぁ、朱里」
「ん? なに?」
手元の雑誌をパラパラ捲っていた手を止め、夕都が話しかけてきた。あたしはその間も絶えず鋏を動かす。ぱさぱさと金の髪が宙に舞って、落ちて。鏡の中の夕都と目が合う。
「プレゼントで貰うとしたら、何がいいと思う?」
「は?」
ざく。
「うっわ、危なっ! …って、ごめん危うく短く切りすぎるところに…!」
「……。」
「で? 何? プレゼントだっけ。何、あんた誰かにプレゼントしたいわけ?」
「…まぁ。うん。」
ちょっぴりヤキモチなんて、焼いてみたり…なんかしちゃった、り?
夕都が誰かにプレゼントなんて、珍しい。
「んー? 女の子?」
「多分」
「何、多分て」
「いいから。女って何あげたら喜ぶんだ?」
女…。女の子かぁ。女といっても、年代によると思うんだけど。
「何? 何歳くらいの子?」
「…同じくらい」
「ん?」
「俺と」
夕都と同じくらいとなるとあたしとも同じくらいってことで。…夕都、もしかして好きな子でも出来たか?
……そうだとしたら、夕都には悪いけど、哀しい。
「…じゃぁ、ケーキとか」
「あぁ、なるほど」
「夕都料理上手いんだから手作りでもいいんじゃない? 女の子は大抵甘いものに喜ぶよ」
それがあんたの手作りとなると、夕都ファンの女の子達は卒倒するだろうね。…嬉しすぎて。
あたしも、ファンの子達と同じかもしれないけどさ。
「…でも」
「ん?」
「でも、朱里は甘いものあんまり好きじゃないじゃん」
…はぁ。そうですけど。
「別にあたしにあげるんじゃないんだからいいじゃん」
「…いや、」
「いや?」
鏡の中の夕都はあたしからふと目を逸らし、手元の雑誌に視線を落とした。
「朱里だから」
「……へ?」
「プレゼントあげんの、朱里だから」
さっきは切り過ぎそうになったけど、今度は手が止まった。
えっと、ちょっとまって、夕都くん。
「…………あたし?」
左手の人差し指を思いっきり自分に向けて、尋ねてみる。聞き間違いじゃないのか。あたし、なんて。
「そう」
でも、夕都はこともなげに頷いた。いやいやあんた、ちょっと。
あたしはプレゼント貰う覚えなんてないぞ。誕生日は過ぎたし、クリスマスも大分前に終わった。
「なんで? あたし、プレゼント貰う理由なんてないんだけど!」
「や、告白しようと思って」
「こ…くはくっ……?」
いきなり何を言い出すんだこの男は。あたしは相変わらず手を止めたまま、口をぱくぱくしたり。言葉にならない。
慌てるあたしとは裏腹に、夕都はさらりと言ってのけた。
「そう。愛の告白、するから。答え決めといて」
このポーカーフェイスめ!
…これは、あたしの夢じゃないよな? 夕都があたしに告白、するなんて。
「で、プレゼント。何が良い」
「ちょっと待って。つか、待ちなさい。何それ、どういうこと?」
「ずっと好きだったから」
「は?」
「気づかなかった?」
気づくはずも無かろうに。あんたのポーカーフェイスは完璧なんだから! その証拠に、夕都はこんな言葉を吐いてるときでも真顔だ。…なんだよ。なんなのよ。
「……って、本当に?」
「本当。」
「嘘じゃない?」
「こんな嘘ついてどうすんだ」
「か、からかってるわけじゃないよね?」
「俺がからかって遊ぶように見えるのか、お前には」
見えません。
ということは、これは本当に本当なわけで。そう思った途端、顔がどんどん熱くなってきた気がする。
なんだ。
「……ねー、夕都」
「何?」
「プレゼント、いらないわ、あたし。」
「……。」
鋏を手近にあった台の上にのせた。ついでに、夕都の目の前に立つ。夕都は座っているから、あたしが夕都を見下ろす形になる。夕都の茶色い目と、視線がかち合った。
「だって、あたしも好きだもん」
夕都は驚きもせず、あたしの頬に手を伸ばした。あたしは導かれるままに、夕都に近づいて。落ちて。
触れた。
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(創作短編:BL。苦手な人・解んない人は見ないようにー。)
「たとえばさ、夢なんてものは叶えるためにあるって言うけど、そんなのキレイごとでさ、結局は夢なんて欲望じゃん。欲望を少しオブラートに包んできれいにして、範囲を大きくした言葉にあてはめてみただけって言うの? 亜樹、つまりはさ、結局、そういうこと。」
瀬依はただそれだけを一息に言うと、ふいとこちらに向き直った。そこでやっと我に返り、どういう話の流れでこうなったんだっけ、と記憶を辿ってみたが、記憶は途中ですっぽり抜け、残っていたのは今流されたばかりの一息マシンガントーク。
「つまり、って、何がつまりなんだよ」
俺はただお前に呼び止められてだらだら放課後の教室に残らされていただけで。話なんてほとんど聞き流していたのだから、結論を「そういうこと」の一言で片付けてもらっては困る。俺は何のためにお前に呼び止められてわざわざこんな長話を聞かされているのかどうかが、いまいちよくわからないのだ。
「えっ…あー、んー……つまり、ね」
今日の彼は調子が悪いらしい。瀬依は学ランのカラーやワイシャツのボタンをいじりながら、何やら言いにくそうに口をもごもごさせている。
「……こないださ。」
「うん?」
瀬依は、体の中から糸を手繰り寄せるように慎重に言葉を紡ぐ。ほんのり頬なんか染めて、一体どういう話題に持っていこうとしているのか定かではない。
「何でお前…亜樹と一緒の高校に行きたいのかって聞いて来たじゃん。」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
言われて見れば、そんなことを言ったような気がしないでもない。
「それでさ、俺は夢だったからって、答えたんだよ。その時。」
「…そうだなぁ」
そのときはただそれだけで会話が終わって、俺も深くは追求しなかったから、あんまり気にしていなかった。
夢、の意味が良く解らなかったのもあるが。
「その、夢ってのな。」
「ん」
「…亜樹とさ、同じ高校に行くの。俺の、夢だったから。」
「………ふぅん?」
夢。夢とはつまり欲望、というのは瀬依の言葉だ。その話を最初にしたからには、夢という言葉に他の欲が含まれているということだろう。
その欲、とは?
「小学校からずっと亜樹と一緒に居て、俺の中で亜樹と一緒に居るのは当たり前でさ。中学までは公立だから一緒だったけど、高校からはそうもいかなくなるだろ。だから、高校は同じトコにいけるように馬鹿なりに勉強してさ。で、もうすぐ合格発表なワケだろ?」
「いきなり不安になったってこと?」
「そう」
夕陽に染められて瀬依の顔が赤く見える。…実際、赤いのかもしれない。
「……で、色々考えてたんだけどさ。俺、可笑しいのかもしれない」
「可笑しい?」
瀬依は髪をくしゃりと触り、困ったように笑って見せた。それがひどく心を打って、なんだか。……なんだか。
「…俺、亜樹が好きなんだ」
鼓動。
…なぁ瀬依、俺だって、可笑しいのかもしれない。言って、恥ずかしそうに顔を背けて、俯いて、耳まで赤くしてる瀬依が、何だかとても可愛く見えて。愛しくて。
気がついたら俺は瀬依に腕を伸ばしていた。そうして、近づいて、そして。
俺達、可笑しいのかも、しれない。
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(創作短編:観る人によってはBL)
音色に誘われた。俺としては、珍しい方だ。こんなことがあるなんて。
音楽は、嫌いでもないけど好きでもない。たまに、メジャーな邦楽を適当に聴く程度だ。音楽に特別な興味なんてなかったし、ただ風に乗ってやってきたピアノの音色に誘われて寄り道をするなんて、自分が一番驚いている。
今日はどうかしているらしい。
「優等生がこんなとこで何してんだよ」
「…ヒミツにしといてよ」
外崎司信は唇に人指し指を当てて笑いかけた。…かわいこぶるな。
「放課後の多目的ホールのピアノなんて誰も使わないじゃん。だから、たまに鍵あいてるときに勝手に弾いてんの」
「あそ」
外崎はピアノを弾く手を止めてしまった。沈黙が流れる。
帰ろうとは思わなかった。
単純に、外崎に興味がわいたからだ。
外崎は顔良し頭良し運動神経良しの典型的な優等生で、学校に遊びに来てるような俺なんかとは縁がないはずだった。
「美沢は? 帰らないの?」
「…んー? ……あー…。」
はずだった、けど。
「…お前さ、他に何か弾けんの?」
「何か? クラシック…じゃない方が良いか。邦楽?」
頷く。外崎は少し考えた後、軽やかに鍵盤に指を滑らせた。
紡ぎ出される旋律。ただのピアノから、さっきとは全く違うメロディが流れる。ただのピアノ。の、はず。
「すげ…」
それ以上何も口にすることは出来なかった。
音が生きてる。
今まで、音楽に感動したことなんて無かった。…けれど、これは。
演奏が終わる。鍵盤から指が離れ、その腕は膝の上に揃えられた。外崎と視線がかち合う。
「……すげぇのな」
「それはアリガトウ」
外崎はただクスクス笑っているだけだった。
窓から日が射しこむ。その日にあてられる、白と黒の鍵盤。白い指。
興味がわいたのは。
「また、来てもいいか?」
外崎は一瞬、驚いたような様子を見せたが、次にはさっきより一層笑みを深めて。
「…いつでもおいで!」
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