(※今回少しグロテスクな表現が含まれますのでご注意。)
扉は開かれた。改めて見渡す夜の化学室は、寒々しいほど静かだった。空気は張り詰めていて、何も居ないのに――少なくとも、有紗にはそう見える――空気が生きている様だった。
「…何も居ない…?」
「シッ」
呟いた有紗に対し、トーヤは口元に人差し指を当てて見せた。静かに、ということだろう。有紗は慌てて口を両手で塞いだ。
……すると、声が聞こえた。有紗の耳にも。少女の声だ。そして――見えてしまった。
「ひっ」
思わず叫びそうになる口を強く塞ぐ。全身の産毛が逆立った。顔面蒼白、とはこういうことを言うのだろう。有紗の顔は一目でわかるほど真っ青になっていた。
(…タスケテ)
少女は、囁くような声で叫んでいた。恐ろしいほどの金切り声で。姿を見れば、有紗が着ているものと同じ制服を着て、長い長い腰の辺りまである黒髪を流していた。化学室の後ろの方にある、壁と密着した薬品棚の上にうずくまり、涙を流していた。そして、何故だか後ろの壁が透けて見えた。青い肌。長い長い黒髪。顔は良く見えないので、表情も良くわからないが、声に湿り気が混じっているので泣いている事だけは伺えた。
「有紗ちゃん、あの子の顔は見ないほうがいい。……あんまり、いいものじゃないから」
「…?」
意味を訊く前に、少女が顔を上げた。そして、目が合ってしまった。言われた傍から、有紗は少女の顔をまともに見てしまった――…。
声にならない叫び声をあげた。声を出すことも出来なかったからだ。その少女の顔は爛れ、頬は潰れ、造形がよく読み取れないほど崩れていた。頭からは血が流れ、顔の半分を血で濡らしていた。よく見れば、少女は全身に傷を負っていた。ところどころが血にまみれ、制服を汚していたのだ。
有紗の目からは、知らぬうちに涙が流れていた。あまりの恐怖に、体を動かすことが出来なかった。流れ続ける涙を拭うことも無く。顔を逸らしたくても逸らせない。足は床に縫い付けられたように…。
「…言わんこっちゃ無い」
少し困ったようにトーヤが言った。そして、その手で有紗の目を覆った。有紗の視界が遮断される。そうなっても尚、有紗は動けずに居た。
(タスケテ。タスケテ。タスケテ。タスケテ。)
少女の声が繰り返されているのがひたすらに聞こえた。その声が悲しみを帯びているように感じられて…有紗の心を支配した。
「20年前、この化学室でお亡くなりになられた小川亜矢子さん」
東堂の声が響く。少女の、タスケテ、の声が止んだ。
(なんで、私の名前を知ってるの…?)
絹を裂くような高い声のまま、少女が答えた。その声の高さに、思わず耳を塞ぎたくなる。
「貴女は何故、ここに留まり続けるのですか?」
また、東堂の声だ。呼びかけるようなその声は、暖かかった。
これから、何が起こるんだろう。有紗は視界を塞がれて、大分落ち着いていた。今なら、あの顔を見ても怯えずに居られるかもしれない――…。
「…すみません、トーヤさん。もう大丈夫です。」
言うと、トーヤは「そう?」などと言いながら手を外した。恐怖よりも何よりも、有紗はこれから起こることが知りたかった。これから起こることを、見届けなければならないような気がしたのだ。
「…教えていただけますか?」
東堂の声に答えるように、亜矢子はふわりと宙に浮かび、三人に向き合った。
〈第六章へ〉
***
また長くなった…;
念のため言いますがアッシュカフェはホラーではありません。まぁホラーだとしてもそういう要素少なすぎるし。
とりあえずまだ続きます。あと3回くらいで終わる…予定。予定は未定。(笑)
忘れそうになりますが有紗が主人公なんだよ〜と言う思いを全面に出してみました。…あれ、もしかしてそんなでも無い…?;
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